三浦悌二は、鉄道官吏の三浦宇三郎、安代の5番目の子供として、大正10年9月20日に室蘭にて生まれました。その後、宇三郎の転勤に伴い、小樽、札幌、東京と移り住み、東京中野の谷戸小学校を卒業、その後、四中、二高、帝大へと進学しました。母安代が病弱であったために医学を志すこととしたそうです。しかしながら、母安代は三浦悌二が医者になる前に他界してしまいました。

Teiji Miura研究者となった三浦悌二の生涯の研究テーマは「生まれ月」についてでした。生まれ月に興味を持ったきっかけは、戦前の学生時代に医学的調査のため当時の満州の開拓地をまわって、その時の出生の調査から生まれ月の偏りに気づき、環境中に季節的に出現して出生力に影響を与えている感染性の不妊因子があるのではないかと考えたそうです。

戦後は、日本脳炎が大流行しその研究を始めました。その活動の中で1960年から2年間ロックフェラー財団からのお金でアメリカ、ミネソタ州のミネソタ大学にて研究生活を送りました。

帰国後の日本脳炎の研究はやがて不顕性感染をさせた母マウスと感染させていない母マウスから生まれた子供マウスを、誕生直後に交換して育てたのちに、子供マウスに日本脳炎ウィルスを感染させる実験に至りました。不顕性感染させた母マウスから生まれた子供、あるいは育てた子供のどちらが母親の免疫を受け継ぐのか?答えは何らかのミルクファクターが原因と思われる免疫が働き不顕性感染させた母マウスが育てた子供が日本脳炎の感染に抵抗して元気に育ったのです。父は将来このミルクファクターを解明する科学が出現することを希望していました。日本脳炎は夏に流行することから、蚊に刺されて不顕性感染をした母親から生まれた子供は将来日本脳炎を発病しにくいことを仮説として、あちこちの病院の膨大な過去のカルテを調査し「生まれ月」によって日本脳炎で死亡する人に偏りがある「日本脳炎が流行した時代」と偏りが無い「日本脳炎が流行しなかった時代」があることなどを発見しました。

1973年に新設された帝京大学で衛生学教室を立ち上げ、約20年、定年まで勤め上げさせていただきました。その間「生まれ月」の研究は海外の昔の生年月日の記録調査に及びました。旧東ドイツのゲーリッツにも、数百年前からの洗礼記録が残されておりそれらを調査しました。1988年にカナダの再洗礼派ハッテライトの現地調査に行ったおり、必要からあごひげを伸ばしました。

1992年、定年退職したあとは、「生まれ月学」をさらに確固たるものにしたいと、医学部図書館や国会図書館に通い原稿を書いたりデータを分析したりと研究三昧の日々をすごしておりました。

しかしながら、2008年に階段より転倒、腰椎の圧迫骨折をいたしました。これをきっかけにしてパーキンソン病が判明し、以後、治療を始めました。しかし、パーキンソン病と闘いながらの原稿作成は思うようにははかどらず、大変苦労しておりました。けれども、このような状況の中でも、冷静に自分の状態を観察しており、パーキンソン病とエコノモ脳炎との関係について考察したりしておりました。

研究者でありました三浦悌二は、パーキンソン病の研究の貢献のためにと国立精神・神経センターのブレインバンクに献体登録をしておりました。このたび、無事にその89年の生涯を静かに終えることができた時、かつてから申しておりました遺志どおりにパーキンソン病に冒された脳とその他の臓器の献体をしました。研究者としての人生を貫き通した、立派な父であったと考えています。

 

少子化の流行―その原因と対策

ここではまず感染を目標の中心としてその流行季節に焦点を当てて考えてみようと思います。生まれ月を武器として少子化流行の真相に何処まで迫れるかを試してみましょう。

具体的な対策実現への道はまだまだ遠いのですが、生物学的な見方から試してみようとする少子化対策の実現への第一歩を踏み出すことが出来るかもしれないと期待したいのです。

生まれ月の科学-胎児期環境の影響

生まれ月から少子化の原因を探り、一人っ子のなぞを解く。寿命は生まれ月で違う。100歳老人にさえ、生まれ月での違いが認められる。

生まれ月の科学とは?

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